世界最古の踊りと呼ばれるベリーダンスですが、もともと踊られていたものは、現代のショーで見るものと違って、洗練されたものではありませんでした。
現代へ続くベリーダンス(オリエンタルダンス)の歴史を知る上で、必ず出てくる名前がBadia Masabni(バディア・マサブニ)。
Badia Masabni(バディア・マサブニ)とは?
Badia Masabni(バディア・マサブニ)は、1892年にレバノン人の父親とシリア人の母親の間に生まれました。7人兄弟のうちの1人で、出身はオスマン帝国(レバノン)。
父親は石鹸づくりの事業を営んでいましたが、父親が他界して息子が家業を継ぐと財政状況は悪化。工場も火事で焼失し、若いころは大変な経験をしていたようです( ;∀;)
Badiaの写真が英語版のwikipedia にありました。
最初のナイトクラブ
小さい頃から歌と踊りが好きだったバディア。
17歳の時にエジプトのカイロへ移り住み、1926年に最初のナイトクラブをオープンさせます。
ここでは最初、男性歌手とBadiaのみが所属していました。
彼女は歌・演技・ダンス・振付ができるエンターテナーでしたが、ダンサーがショーに登場するのは1年後のことです。
オープンの翌年に、数人の歌手と数人のダンサーを追加します。
ダンサーは、レイラ、シャフィカ、アフランザ・ハネム(当時有名なトルコのダンサー)がいました。
中でも、アフランザ・ハネムは、バディア最初のスターダンサーになった女性です。
Badiaのクラブは革新的で、すぐに人気になりました。
最初は、有名なダンサーを連れてきていたんですね。
Badiaのナイトクラブ
Badiaはその後も次々と、ナイトクラブやカジノをオープンさせます。
カジノとは、ギャンブル施設ではなく、シーティングエリア・屋外ガーデン・カフェを備えた場所。
壮大な海の景色を望むオーシャンビューのお店で、カフェとガーデンエリアがありました。
なんとも贅沢な空間ですね!
次々に成功をおさめていくBadiaは、1930年に伝説的なナイトクラブ「Casino Opera」をスタートさせます。
ナイトクラブOpera Casino
Badiaはやり手の経営者で、客層は富裕層のエジプト人や外国人。大繁盛していたそうです。
黄金時代を築き上げたダンサーたちの多くが、Opera Casino出身のダンサー。
例えば、ターイヤ・カリオカ、サミア・ガマル、ナイーマ・アケフなど。
当時ナイトクラブでは、ダンサーをソロで踊らせることはなかったのですが、Badiaは目を引く子を選抜して、ソロとして躍らせるようにしました。
ソロとなったダンサーは、映画にも出演するスターになります。
当然、エジプトやその周辺諸国のダンサーたちは、Badiaのクラブのダンサーになりたがりますよね!
Badiaは、このクラブでダンススクールも運営し、ダンサーを自らの手で訓練していました。
それだけでなく、当時の著名なインストラクターや振付師を雇い、様々なジャンルのダンスのトレーニングも担当させていたそうです。
Badiaの新しいアイディアに、観衆は夢中になりました。
・土着要素の強かったダンスに、他のジャンルのダンスを取り入れて洗練させた
・即興ではなく振付をする
・ベールやシャマダンなどの小道具
・欧米文化を取り入れた華やかな衣装
Badiaのダンススタイルは「ラクス・シャルキー(東欧の踊り」の名前を得て、現在に続くベリーダンスのスタイルを作りあげました。
ブラベルトのセパレートの衣装もここから
スパンコールやフリンジで装飾された、華やかなセパレートタイプの衣装。
今ではすっかり当たり前になっていますが、これもBadiaのナイトクラブ発祥です。
参考にしたHP
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